健太のワイキキだよ、おっかさん!Part II

ワイキキのホテルマンによる、ハワイ情報!

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自惚れるのもいい加減にしろ!

健太のなんちゃって、サクセス・ストーリーVol.85

 ローカルのお客さんBさんは何時も健太達をいろいろな形で面倒見てくれた。
ライブがはねてからの朝食はもとより、ライブの始まる前のディナーへの招待。そしてオアフ島の観光、ポリネシア文化センター、他島への旅行などなど。
彼はそれを全て身銭を切ってやってくれた。
しかし驚いた事に彼は決して裕福な人じゃあなかったんだ。

 ある日、Bさんのアパートに招待された。
彼は何時もそうして健太達にいろいろと振舞ってくれていたので、
<金持ちなんだなー>
と思っていた。
でも実は彼はその辺の商店で働くごく普通の店員さん。
アパートは質素で、狭いワンベッドルームの室内にはこれと言ったファニチュアもなかった。
その夜も、彼はガールフレンドと二人で沢山の手料理を作ってくれて思いっきり健太達を歓迎してくれた。

 これは別にBさんだけじゃない。沢山のローカルの人が同じように健太達に接してくれたんだ。

 あの心温まる歓待は一体なんだろう、、、。
彼らは決して裕福な人たちばかりとは思えない。
はっきりいって健太達はあかの他人じゃないか。
なのに何故ここまで親切にしてくれるんだろう
「アロハ精神」って言うのがあるけど、そんな簡単な一言では済ませれないような気がする。

 長い間この答えが出なかったけど、最近やっとその答えらしきものがうっすらと見えてきた。
ハワイはその昔大勢の移民者で溢れていた時期があった。人種も様々で、日本人、中国人、韓国人、フィリピン人、などなど、、、、、。
当時のサトウキビ畑の労働の過酷さと言ったら、現代では想像を絶するものだったらしい。
そうした状況の中では、自分の事だけを考えて生きて行くなど、不可能だったに違いない。
新座者も古株もない。人種や年齢を超え、互いに手を取り合って生きてゆくしかなかったんだ!
その精神がきっと引き継がれていたんだと思うね。

 それを健太達は、「俺たちが人気者だから!」等と頭に乗っていた。
本当に恥ずかしい事だ、、、。
「自惚れるのもいい加減にしろ!」と自分を叱りたい、、、。

 今は例えどんな形にせよ、ハワイに恩返しをしなくてはならない時期に健太は来ている。

 写真はホリプロで撮った最初のプロマイド! 

 Part I、は今日のセミナーから「独特のハワイ現代文化」です

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  1. 2005/08/31(水) 12:07:54|
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居並ぶ強豪に勝て!

   健太のなんちゃって、サクセス・ストーリーVol.84

 デビュー間もない頃の健太達の苦手は、営業・地方公演。
当時の営業のメインは「GS・フェスティバル」。沢山のGSがまとめて地方公演に出る。
健太達のデビュー曲はYSちゃんとのフォーク系の曲だったけど、健太達のバンド・カテゴリーは完全にGS(グループ・サウンズ)だった。
当時GSは時代の寵児。何処へ行ってもキャーキャーと騒がれたけど、YSちゃんとのレコードは発売されて間もない健太達は、未だ無名。
それでもプロダクションは健太達を情け容赦なく営業に駆り出す。
未だ売れていない健太達は殆ど前座に地近い状態。
一方まわりは、「ザ・スパイダース」「ザ・サベージ」「ジャガーズ」「シャープ・ホークス」「ブルー・コメッツ」など既にヒット曲を持っ連中ばかり。
だから最初の頃何処へ行っても人気はいまいち。健太達が歌っても会場はあまり沸かない。
だって彼らのお目当ては、マチャアキや井上順、力也や寺尾聡(ルビーの指輪)、三原綱木。

 早速健太達はミーティングをした。
このままじゃこのツアーでは、マチャアキや井上順、力也や寺尾聡そして三原綱木に食われっぱなし。何とかあいつらを凹ませるまで行かなくても、同等の人気を得る方法はないものか、、、。
健太達の持ち歌は、どれも彼等に負けないものばかりと、自信を持っていた。
後はいかに、こっちに客の気持ちを向けさせるか、、、。

 あれは九州の九電体育館での事だった。
ライブを前にして、はじめて来た町並みを観光気分で歩く健太の目に、ふと花屋さんの店先のバラの花束が目に入った。
その赤い花束は健太の目を何故か強烈に刺激した。
<待てよ、、こいつあ、、、!>
健太は早速マネージャーに頼んで、そのバラの花束を買ってきてもらった。

 次のステージから、メンバーはそのバラの花を一輪づつ胸につけて出演した。
初めのうちは客は何時も通り大した反応もない。
健太達の出番も中盤に差し掛かった頃、アキが作曲したアップテンポの曲「大空の果てに」に合わせて、健太達はステージ狭しとばかりに演奏しながら踊ったり走ったり、飛び上がったりし始めた。会場は少し熱気を帯びてくるのが健太達にも伝わってくる。
曲は健太のギターソロに入った。
<今だ!>
健太はメンバーに合図を送った。
メンバーはいっせいに胸に着けていたバラの花を、客席に向かって投げた。
するとどうだ、会場は一瞬のうちに歓声と拍手の渦に包まれた。
それはマチャアキや井上順に送られる歓声とほぼ同じ、いやもしかしたらそれ以上になっていたかも知れない。健太達が退場してもその歓声は鳴り止まなかった。

 それからと言うもの、地方のどの都市に行っても健太達の胸には何時もバラの花があった。
もちろん、居並ぶGSのグループの中でも常にトップクラスの人気を博したのは言うまでもない!

 写真は地方公演の時「ビレッジ・シンガース」や徳永芽里たちと一緒に。この頃まだ清水はビレッジにいなかったと思う。

 Part I、ワイキキでの健太の見分け方(笑)!


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  1. 2005/08/30(火) 12:54:06|
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健太のそっくりさん!

健太のなんちゃって、サクセス・ストーリーVol. 83

 健太が高校生の時、当時東京駅の「大丸デパート」に勤めていた、S.Sさんがおっかさんの知り合いの紹介で、暫くうちに寝泊りするようになった。
S.Sさんはとても活発な色の白い美人。性格ははきはきした姉御肌。
高校生の健太は一つ屋根の下に住むそんなS.Sさんが大好きだった。果たして女性としてだったかどうか良く覚えていないけど(一寸年齢が離れすぎていたと思う),彼女と話をするのが毎日とても楽しみだった。

 実はこのS.Sさんとの出会いが健太の人生をほぼ決定させたと言っても過言ではない。
彼女は「大丸デパート」の楽器売り場にいたのさ。

 ある夏休み。健太の誕生日が真近になった。
「健太さん、誕生日もうすぐだね!」
「うん、、」
「誕生日を期に、ウクレレでも始めたら?」
「ウクレレですか、、、」
 あまり気乗りのしない健太。
「今時の高校生、楽器ぐらい出来なきゃ女のい娘にもてないよ!」
女の子の話になると急に態度が変化する健太。
「そ、それ、やって見たいです!」
「そう!それじゃ900円出しなさい。私が従業員割引で買ってきてあげるから!」
「えっ、プレゼントしてくれるんじゃないの?」
 誕生日が近いのでS.Sさんが健太にプレゼントしてくれるのかと思った。
「甘ったれるんじゃないわよ!そういう事はね、自分で身銭を切って初めて本気でやる気になるもんなのよ!」

 どう工面したのか覚えてないけど900円をS.Sさんに払ったんだろうね、誕生日には健太の勉強机の上には箱入りのウクレレがのっていた。
S.Sさんは当時のヒット曲の歌集をプレゼントしてくれた。
先生はいない。コード表を見てコードを覚えて、自己流の訓練が始まった。
まだビートルズもベンチャーズも出現していない頃。
ウクレレでは大抵ハワイアンの
「青竹珊瑚」をやる。
「青竹珊瑚」とは他の分野のミュージシャンが当時のハワイアンの連中(あくまでも当時のですよ!)を一寸揶揄してそう言った。つまり、「ブルーハワイ」「小さな竹の橋の下」「珊瑚礁の彼方に」ばかり弾いているのでそういったらしい。

 健太はそれに飽き足らず、エルビス・プレスリー、ポール・アンカ、パット・ブーン、ジーンビンセント、ボビー・ボロ、などポップス系をばんばんやった。
でも一年もたつと、ウクレレの表現力に飽き足らずギターが欲しくなった。
近所の質流れの店(今のリサイクル・ショップ)の前を通っては、奥の壁にぶら下がっていたフォーク・ギターを眺め、、、ため息をついていた。
ある日一つの計画が浮かんだ。あの質流れ店のギターは¥1800(だったと思う)。健太の小使いではとても足らない。
<あの手しかない!>

 それから三日後、健太の部屋にはあの質流れ店の壁に掛かっていたフォーク・ギターがあった。
実はおっかさんの財布から黙って¥2000借用したのさ!
今でもおっかさんとその話をする。
あの黙って借用した¥2000が健太の人生を決めたってね(笑)!

 先生は誰もいなかった。
クラッシック・ギターの教則本は有ったけどポップスの教則本なんってありゃしない。
先生はレコード。全て耳コピーで曲を覚えた。
もちろん譜面なんか読めない。今では多少は読むけど、どちらかと言うと苦手、、、。

 しかし世の中は良く出来た物で、その後まもなくビートルズもベンチャーズの出現をみる!
彼らも譜面は大の苦手。彼等が「健太だって世の中に出るチャンスがある!」って事を証明してくれたんだ。

 しかしその頃から健太がギターを弾くと必ず言われたことがある。
「プレスリーに似ているね!」
残念ながらプレスリーは嫌いじゃなかったけど、それ程好きでもなかった。それと「似てる!」なんて言われると返って嫌いになる事だってある、、、、。

 写真はPホテルでのハローウィンの一コマ。
やっぱ健太にはこれっきゃなかったんだね、、、、トホホ。
こりゃ、自分で見ても良く似ているよ(笑)!

  Part I、新婚さん、お幸せにね!

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  1. 2005/08/29(月) 07:59:33|
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健太、源頼朝に扮する!

健太のなんちゃって、サクセス・ストーリーVol. 82

 撮影所が大船にあったので、松竹は地域社会にも色々なことで貢献していた。
その度に健太たち売れない俳優が借りだされる。
大船は鎌倉市だしね(ジャスミンさんの指摘で、直させていただきました)。
てなわけで、鎌倉に関する催し物には健太達も貢献したんだ。
その中でも「鎌倉祭り」と言うのがあって、その日には鎌倉時代の武将に扮した、「売れない俳優」が鎌倉の街を練り歩く。

 撮影のないときでも、バンドの練習があるともちろん大船まで出て行く。また何にもなくても遊びに行く事はしょっちゅう有った。
ある日撮影所に健太が行くと、演技部の連中が大騒ぎしてる。
よく聞いていると、今日は「鎌倉祭り」、
武将姿の俳優が何時ものように鎌倉の街を練り歩くことになっているのに、肝心の主役の「源頼朝」に扮する「菅原文太」さんが来ていないと言う。あの頃文ちゃん(菅原文太さん)は全く売れてなかったからね(笑)!
その時演技課の課長の目が健太の目と偶然あっちゃた。慌てて視線を逸らそうとする健太。が、時は既に遅かった。
「健太!」

 あーあ、あん時課長の目を見ちゃったばっかりに、こんなかっこをさせられました、、、トホホ、、。

 写真は「源頼朝」に扮して鎌倉の街を歩いた健太。
夏に近かったんだろうか、健太は頭にきて「サングラス」をかけて歩いた。街の人たちは皆そいつを、「面白い!」って言って写真を沢山撮ってた。
そうだ、「菅原文太」先輩にはあん時の貸しをまだ返してもらってないや。文ちゃん、これ読んでたらハワイに来て借りを返してください(笑)!
 
Part I、ワイキキ・ブランド店情報!

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  1. 2005/08/28(日) 11:14:11|
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お笑い界の大きな損失!

   健太のなんちゃって、サクセス・ストーリーVol.81

 今日はクリを紹介しよう。
松竹にはあの頃、いわゆる巨匠と呼ばれる監督が2人いた。
一人は「小津安二郎」、そしてもう一人は「木下恵介」。
木下恵介は「二十四の瞳」「喜びも悲しみも幾年月」などで知られた監督。
クリはその木下恵介監督に街でスカウトされた。

 クリのその日本人離れしたルックスは、当時撮影所内でもかなり目立った存在だった。
しかし彼も、スギ、アキ、健太達と同様、夢いっぱいに描いたニューフェイスと言う待遇に期待を裏切られていた一人。
スカウトした木下恵介は撮影所に彼を入れたまでは良かったけど、その後なしのつぶて。一向に使おうとしなかった。
それともう一つ、彼の存在をアピールするためのマイナス要因があった。
彼とよく似た俳優が既に所内にいたのだ。
「清川新吾」がそれ。
クリは所内でよく「新吾ちゃん」なんて声を掛けられた。それほど良く似ていたのさ。
しかし彼もその抜群のプロポーションを武器に、後半はモデルとしても活躍。健太達のバンドの合間にそっちの仕事もこなしていた。

 しかし健太に言わせると、彼は大失敗している。
彼はたまたまハンサムなので、そのハンサム路線を「売り」にしちゃったんだなー。これが大失敗さ!
何故なら、実は彼のお笑いとしてのセンスは並はずれているんだ!
「タモリ」や「たけし」が出る前から、あれ以上のことが出来たし、あれ以上面白かった。
だから「タモリ」や「たけし」が出てきた時は、「なんだ、クリの真似じゃないか!」」と健太は思ったくらいだ。
彼の頭は回転が速くて、そのジョークは幅が広い。
彼のジョークには老若男女誰もお手上げ状態、思わず笑っちゃう!
オーバーでなく、日本のお笑いの世界の「大きな損失だ」と健太は今でも思っている。
「すげー面白い!」って言う評判がハワイでも流れて、わざわざ「花子・大介」の花子さんが見に来たのも記憶に新しい。

 ま、彼はハワイでもナイトクラブで成功したし、今はホテルでレストランなど経営して、その才能をフルに生かしてるけど、ああいう奴は何をしても、何処へ行っても成功するように出来てるのかも知れないね!
横浜出身、高校野球で最終戦「法政二高」に負けて、残念ながら甲子園出場は逸している。


 写真は大阪でのライブ。ビクターミュージックフェアー!

 Part I、人は皆自分を表現するのがへた!

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  1. 2005/08/27(土) 12:26:47|
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ミス・ユニバース?!!

   健太のなんちゃって、サクセス・ストーリーVol.80

 スギの従姉はあのミスユニバースの児島明子さん!
「児島明子さん」、日本女性史の中でミスユニバースを獲得した事があるのは、後のも先にも彼女だけ!
「えーっ、本当かよ!」
だって児島明子さんは8頭身美人。スギもハンサムだけど背はあまり高い方じゃない。
メンバー全員が驚いた。

 撮影所内ではバンドがかなり知れ渡って映画の出演回数はうなぎのぼりに上がった。しかし、相変わらずセリフは一言二言。
業を煮やしたスギは松竹との契約を解除してフリー宣言をした。
フリーは勿論松竹の映画にも出れるので、その後もバンドでの映画出演はスギも参加した。

 しかしフリーになってからのスギは、途端に売れっ子になりだした。
東宝のテレビ映画「Sとはなんだ!」と言う青春物のメインキャストに抜擢されたのさ。
そのテレビ番組は瞬く間に、お茶のや若者達の間で大人気となった。
夏木陽介演ずる担任の先生。そのメイン生徒役で出演したスギは、見る見るうちに人気者になった。
しかしバンドは彼も嫌いじゃなかったので、そのまま続けていたんだ。
テレビ映画の撮影が無い時には、また健太たちとバンド出演したスギ。
その頃、スギと一緒に電車に乗ると女子高生にあっという間に囲まれた。
サイン攻めだ!

 また彼の家に行くとファンレターの山。
健太たちはその返事を書く係り。健太やバンドメンバーがスギのサインを真似てバンバン返事を書いた。
健太は唾をいっぱいつけた自分の唇の跡を、返事の便箋の一枚にくっ付けておいた。「これは僕のキスマークです。スギ!」ってその下に書いたんだ(笑)!
それを見たファンの娘は大喜びで、「ちゅつ、ちゅつ、、」なんてそれにしたかも知れない。なんともお気の毒な話です(笑)!

 そしてそのテレビ映画「Sとはなんだ」が終了する頃に、丁度ホリプロからのスカウトがあったので、すんなりスギもバンドにジョイントした。
スギの甘い伸びのある歌唱力は、バンドの中でもピカ一だった。
彼のソロは健太たちのアルバムにしっかりと収められている。

 彼は今もハワイの大手旅行社のマネージャーとして、大活躍しています。

 写真はイメージソングを作るために、伊勢志摩を訪れた時。なんともわざとらしい踊り方!さてどれがスギかな(笑)?


 Part I、ハワイの歯医者さん!


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  1. 2005/08/26(金) 12:13:50|
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従姉は有名人?

 健太のなんちゃって、サクセス・ストーリーVol.79

 健太バンドのメンバーを一人ずつ紹介しよう。
先ず、司会を務めていたベースマン「アキ」。
ほらあの病気で休んでいた時、ガールフレンドと、、、、あいつさ(笑)!

 昔、毎週スターたちの近況をカラーやグラビアで綴った、芸能週刊誌「週間平凡」と言う雑誌があった。
それは当時、「週間明星」と並んで芸能ファンには絶大な人気があった。
しかし週間平凡は、単なるスターのゴシップ、近況報告に飽き足らず、自らスターを発掘しようと「ミスター&ミス平凡」なるものを日本全国から募集、その合格者は自動的に映画会社の「ニューフェイス」として映画デビューが出来る仕組みになっていたんだ。
ミスター&ミス平凡からは沢山のスターたちが生まれていった。
 
 アキはそのミスター平凡コンテストに応募。惜しくも準ミスター平凡になったのさ。
しかし彼の均整の取れた甘いマスクが、松竹大船撮影所のスカウトの目に留まって、松竹入りしたってわけだ。
彼の声はその甘いマスクからは想像もできないほど、魅力的な低音。撮影所内でも若い女優たちに人気があった。
しかし、残念ながら俳優としてのチャンスはなかなかやってこなかった。健太と同じく主役のまわりを「うろちょろする学生役」などが主な役どころ。撮影所内でも悶々とした日々を送っていたのさ。

 健太が彼に初めて会ったのは、ある映画の学生たちが良く食べに行くと言う設定の大衆食堂のセットだった。彼は自分のガールフレンド役の娘と何かを食べているシーン。そして健太も、その直ぐそばで仲間と何か食べていた。
お互いに単なるガヤ(セリフもないエキストラ)。
映画は同じシーンを何回もテストをして撮影してゆく。
半日は同じセット内で撮影する事はざら。
撮影の合間、健太の席からアキの一緒にいる女の娘と話す声が聞こえてくるんだけど、その低い声がやたらにきざな響きに聞こえた事を、今でもはっきり覚えている。
<きざな奴だ!>
それが健太のアキに対する第一印象だった。

 その後、健太が仲間を集めてバンドを組んだ。最初のメンバーは安定せず、色んな奴が出入りしていた。
そのバンドをアキがよく見に来た。
アキはうらやましそうな顔で何時も健太たちに見入っていた。

 大船駅は撮影が終わったあと、俳優で溢れる。
健太は当時大田区の蒲田に住んでいた。たまたまアキは目黒区なのでよく大船から電車が一緒になった。
ある日電車の中で健太の隣に座ったアキが突然言った。
「健太、俺とスギにギターを教えてくれよ!」
アキはその頃からスギと仲がよく、その時スギも一緒にいたような気がする(よく覚えてない、、笑)。
どうせ売れない俳優仲間、話は早い。
早速アキとスギの特訓が始まった。

 後に健太のバンドのメンバーが何かの理由でいなくなった時、特訓済みの彼らがジョイントして来たと言うわけだ。

 一方スギはと言うと、彼は既に子役として松竹で主演を撮っていた。
しかし、青年になった彼に松竹が与えたポジョションと言えば全くのニューフェイス、新人のレッテル。健太やアキと同じようにつまらない仕事をさせられていたんだ。
しかしスギの従姉は業界の大物だと言うもっぱらの噂だった。
健太はそれを質そうとスギに聞いてみた。
「スギ、お前の従姉有名人だって聞いたけど、、、誰なんだ?」

 スギはニヤニヤ笑って言った。
「あー、俺の従姉はね、、、、、、」

 写真は、報知新聞主催のボブスノー・プロモーション・コンサートの時。

 PartI、安くて旨い街中の日本食レストラン!

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  1. 2005/08/25(木) 12:24:07|
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信念は、死を超えて!

健太のなんちゃって、サクセス・ストーリーVol. 78

 「健太のなんサクスト」もラストパートに入っている。
しかし何とか100回までは続けたいと思っている。
今まで、健太のハワイへの道のり、そしてハワイ生活を記してきたわけだけど、実はこの中に「はっきりと一つのメッセージ」がある。
皆気がついてるかな、、、?
単に面白おかしく女の娘にもてた話と取れない事はないかも知れないけど、そうじゃないんだ!

 人は何時もターニング・ポイントに立たされた時、「どう対処したらいいのか、、」悩むし、迷うし、自信がなくなってくる。
そんな時にこれを読んでもらいたい!
口はばったいけど、きっと何かの参考にはなると思う。
あくまでも健太の話は「なんちゃって、サクセス・ストーリー」。でもその都度健太なりにまじめに問題にぶつかって生きてきたと確信している。

 読んでの通り、健太はこのストーリーの中で失敗の連続だけど、一度でも後ろには戻っていない。常に独自のアイディアで前に進もうとしている。
それが、良いか悪いかなんて誰にも分りっこない。
問題は「本人がそれで満足しているか、いなか、、」って事だ。
「随分ちっぽけな事で満足してるね!」
そんな事を言う奴もいると思うけど、知ったこっちゃ無い。健太はこれで「凄い!」と思ってるし「偉い」と思ってる。
それは、この先にまだまだ素晴らしい未来があると信じてるからさ。

 「ナイトクラブ・T」のリサママは、もう20年以上前にナイトクラブ・ビジネスに見切りをつけて、オアフ島の裏で農業を始めた。
日本のナスやキュウリの栽培を始めたのさ。
あの頃ハワイのスーパーには日本のあの美味しいナスやキュウリが無かったんだ。
ご存知のように、アメリカのナスもキュウリも馬鹿でかいばかりで不味いからね。
だから何とかその美味しい日本のナスとキュウリを、「ローカルの皆に食べてもらいたい!」と願って、そんな事を始めたんだ。

 島の裏側のカラニアナオレ・ハイウエーは皆車をぶっ飛ばす。
農園からの帰り道、あそこを走っていたママの車はセンターラインをオーバーしてきたトラックに正面衝突され大破した。ママはそのまま帰らぬ人となってしまったんだ。農園を始めて5年くらい経った頃だったと思う。

 リサママはもうこの世にいない。
でも今、ハワイのスーパーの野菜売り場には、彼女が育てた日本のキュウリの子孫たちが「Japanese Cucumber」として、並んでいる。
彼女の願いは今、立派にハワイの食卓に届いている。
人の人生は短い。どんなに頑張たって、その短い間にできる事などたかが知れてる。要は自分が信じる事を何処までやり通すかじゃないかな、、、。

  写真はリサママと歌手を探しにサンフランシスコへ行った時、フィッシャーマンズ・ワーフの前で。サングラスを掛けているのが、今はなき「リサママ」、、、。

 Part I、今日はダウンタウンに!

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  1. 2005/08/24(水) 12:23:40|
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オーディション突破法!

健太のなちゃって、サクセス・ストーリーVol. 77

 健太が俳優になろうと思った時、一体どんな俳優になりたかったのか、、、。
もちろん寅さんに憧れたんだけど、それはあの生き方に共感を覚えてたって事。
社会の枠にはめられるのが大嫌い。大きな理想を持って自由気ままに日本を行脚する。
人情に厚く涙もろい。見掛けは悪いけど、心温かく思いやり人間味に溢れる寅さんは、飛びっきりの美人にもてる。
ある意味では男の理想的な生き方が寅さんの中にあるのさ!

 ま、それは健太の憧れのある一面。だけどもう一つの憧れもあった。
健太は松竹大船撮影所に入ったけど、本当は日活に入りたかったんだ。
日活には大御所裕次郎がいた。
しかし健太が憧れた俳優は、その頃もう亡くなっていた「赤木圭一郎」。
だから松竹のオーディションを受ける前に、日活のオーディションも受けた。

 そのオーディションは日本全国から集まった5千人の書類審査から始まった。
当時としてはかなり大規模だったと思う。
その中から200人が選ばれる。
幸運にも健太その200人の中に選ばれたんだ。
その後日活撮影所で大々的オーディションが行われた。
最初のテストは10人ずつ並んで行われる。
居並ぶハンサム青年を見て健太は気後れがした。ルックスでは負けそうな健太!
<まともに行ったら、彼らに勝てないぞ!>
咄嗟に、この中でどうしたら自分が審査員に一番印象深く残れるか考えた。

 順繰りに自己紹介は進んで行く。
そしていよいよ健太の番が来た。
腹に力を入れて、さっきから考えていた事を実行した!
実は健太の前に自己紹介やった奴らは皆声が小さかった。ぼそぼそ何を言ってるか良く聞こえなかったんだ。

 審査員は20人ほど健太たちの前に並んでいる。
中には有名な俳優さんも数名いた。
<良いか健太、このオーディションを受けにきた奴の中で、一番大きな声を出して自己紹介するんだ!>
そう自分に言い聞かせると、健太は大声で叫んだ。
「健太です。東京出身、18歳!、、、、」
健太のあまりにもでかい声に、審査員が皆けらけら笑った。
その審査員の笑い声を聞いた健太、
<オレはこのオーデション、受かったぞ!>
と、そう心で叫んだ。

 審査は演技テスト、水着テスト、そしてムービーカメラテストと、次から次えと進んで行く。
なんと、数ある難関を突破して健太は最後の2人まで残った。

 その後は自宅に結果を通知してくる事になっていた。
しかしいくら待っても通知は来なかった。
どうしてもムービースターをあきらめ切れない健太は、その間に松竹のオーディションも受けていて、
そっちが先に合格通知が来てしまったんだ。
松竹の入所式になっても日活からの連絡はなかった。
<最後の2人までのこったのに、、、>
後ろ髪引く思いで松竹と契約のサインをした。

 日活から合格通知が来たのは松竹に入ってから1月も後だった。
既に契約書にサインはしてしまっている。
あの時の悔しさと言ったら口では言い表せない。
だから何時も松竹で良い役が来ないと
「ちくしょう日活にさえ行っていれば!」
と悔しがった。

 しかし結果的にはそれで良かったんだろうと、今は思える。
日活に入ってたら、このメンバーにはめぐり合わなかったんだから、、、。
それと健太と最終審査まで残ったもう一人の男、香取真吾似の男は一向にその後デビューしてこなかった。

 みんなの中で、オーディションに受かりたい人がいたら、百戦錬磨の健太が何時でも相談に乗りますよ(笑)!

 写真は赤木圭一郎気取りで松竹大船撮影所の中庭噴水の前で!

 PartI、ワイキキで更なる工事が始まった!

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  1. 2005/08/23(火) 15:20:07|
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パイナップル・レコード発足!

 健太のなんちゃって、サクセス・ストーリー Vol.76

 「ナイトクラブ・T」のリサママは何時も前向きな張り切りママ。
負けず嫌いで、他のクラブが忙しいと聞くと何とか新しい企画を考えて、対抗する。
またサンディーがいなくなって健太のバンドに歌手がいないくなると、
「健太、サンフランシスコにいい歌手が居るんだってさ、一寸スカウトに行こうよ!」
「サンフランシスコですか?」
「健太は行った事ないだろ?」
「は、はい!」
「あそこにサンディーより可愛くて、歌も上手い娘がいるって知り合いから連絡がきたんだ!」
サンディーがいなくなって元気のない健太を、新しい可愛い歌手で元気にさせようって魂胆だ。
早速切符を手配したママ。

 健太にとって初めてのメインランド。
見るもの聞くもの食べる物、皆珍しくて3日間はあっという間に過ぎて行った。
しかし肝心の歌手はボーイフレンドがいてサンフランから離れないと言う。
「残念だったね健太。でもサンフラン、良い経験になったろ?」
帰る前の晩、フィッシャーマンズ・ワーフで食事をしながらママが言った。

 確かに良い経験をさせてもらったけど、健太の気持ちは晴れない。
歌手が獲得できなかった事もあるけど、やっぱりサンディーが歌手としちゃあ一番。他の誰も彼女のカバーなんて出来やしないさ。
元気のない健太の表情をさ察してママが言った。
「健太、あんた作曲をしてるって言ったわね?」
「はい、、?」
「サンディーはまだ日本でレコード会社との契約はしてないわ。どうかしら、あたしが作詞をするから、健太、あんたがメロディーを付けて頂戴。サンディーのレコードをハワイで作るの!」
「えつ、サンディーのレコードをハワイでですか?」
「良いだろ?金はあたしが出すんだ文句はないでしょ!サンディーは来月一時帰国してくる、その時に録音してレコード作ろう!うちのお客さんでサウンドオブ・ハワイって言うレコーディングスタジオを持ってる人がいるの健太も知ってるね?彼はハワイで沢山レコードを製作してる。彼が何とか力になってくれるさ!」

 話は早かった。長い間サンディーのバックをつとめた健太。彼女の音域は他の誰よりも知っている。
「健太、これにメロディーを付けておくれ!」
ハワイに戻ってすぐリサママは一枚の紙片を健太に渡した。

 「ワイキキブルース?」
「そうだよ!日本国中『ご当地ソング』ってのが有るけど、ハワイの曲は一つもないじゃないか!演歌になるかもしれないけど、サンディーの演歌、私大好きなんだよ」
サンディーはポップス・シンガー。アメリカのコンテンポラリーなどすぐにカバーして物によってはオリジナルより上手く歌っちゃう。
でも時々愛嬌でお客さんのリクエストが入ると演歌も歌う。こいつがしびれるほど上手いんだ!
そのほかに、演歌ばかりじゃサンデイィーも戸惑ううかもしれないから、ポップス調「ペルシャ猫は恋泥棒」「あの人」の2曲用意した。もちろん作詞はリサママ。

 話はとんとん拍子に決まった。サウンドオブハワイのMr.Onoも協力を惜します、健太たちの録音のために徹底してスタジオを開放してくれた。サンディーが帰って来る前に新生トニーズバンドは他のバンドの協力も得て既にカラオケを製作しておいた。

 サンディーが帰ると即録音に入った。
さすがサンディー、3曲とも2,3回練習しただけでもう何百回も歌った歌のようにスイスイと録音終了。実に素晴らしい出来だった。

 さていよいよ3曲のうちどれとどれをレコードににするかママと協議をした。
ママは「ワイキキブルース」を徹底して押してきた。
健太は3曲ともとても良い出来だけど、この際演歌は避けたかった。
ここは、ママが折れてくれた。
一応ミュージシャンとしての意見を聞き入れたって訳さ。

 いよいよレコードが出来上がった。
もちろん製作はハワイ企画。レコード会社の名前はサウンドオブ・ハワイのMr.Onoが付けてくれた。

 「パイナップル・レコード」!

 写真はサンディーが歌った、「ペルシャ猫は恋泥棒」のジャケット。

PartI、飛び続けるとんま!

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  1. 2005/08/22(月) 13:06:46|
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健太たちの歌がパチンコ屋で流れた!

 健太のなんちゃって、サクセス・ストーリーVol.75

 レコーディングは無事に終わった。
曲名は「Yある者」!
YSちゃんとのレコードジャケットではフォークソングと言う事で、
当時のフォークグループの定番、カーディガンンにとっくりのシャツを着せられた。
たまたまこの曲がフォークソング、GSだった健太たちはちょっぴり不満だった。
なんともさえないかっこだけど、仕方がない。スタイリスト任せ、、、。


 レコードが発売されたのはそれから2ヵ月後の事だった。
発売と同時にテレビのレギュラー出演が決まった。
日本テレビ、30分バラエテイー「YSショー」。
もちろんYSちゃんと歌った歌が番組のテーマソング。
時をほぼ同じくして、ラジオでは一日何十回も掛かり始めた。
それに平行して、当時売れっ子のGSグループ
ザスパイダーズ、サベージ、ビレッジシンガーズ、ブルーコメッツ、シャープホークス、ジャガーズなどとほかのテレビ番組にも出演。
そしてラジオ出演や雑誌のグラビア、インタビュー。
マスコミ露出度が極端に増えだした。
健太たちも世間で少しは知られるようになった。

 健太が街で自分たちの歌を初めて聞いたのはパチンコ屋さんだった。
当時パチンコ屋さんで流されるようになれば立派なヒットソング!
「Yある者」は見る見るヒットチャートのベストテン入りを果たした
これでもかこれでもかとばかりに、繰り返し有線やラジオに掛かり初め、半年も経たないうちにたちまち売り上げが60万枚突破した。
この勢いだとミリオンセラーもほぼ確実だとビクターの上層部やホリプロではささやかれ始めた。出演番組も「夜のヒットスタジオ」を初めとする、ヒットチャート番組の出演が増えてきた。

 しかしプロダクションとしては、健太たちに余りテレビやラジオばかり出てもらっては困るのさ。つまり有名になったタレントを営業でばんばん使わないと彼らの利益は出ないんだ。ま、そのマスコミ露出度と営業のバランスは非常に難しいけど、何れにせよマスコミ出演ばかりでは、プロダクションは潰れてしまう。それ程マスコミの出演料は低かったんだよね。

 「Yあるもの」がもうすぐミリオンセラーになると言う頃には、健太たちの地方公演のパーセンテージが急激に増えてきた。
各地方の市民会館やライブハウス、またほかのGSたちとのツアー。
地方から東京へ戻ってテレビ出演、それが終わると地方へとんぼ返り。
更にその間アルバムや次回作のレコーディング。
スケージュールは過密を極め、睡眠が極端に減ってきた。皆疲れきっていた。

 大したこともない事で、メンバー同志がぶつかり始めた。

  写真はYSちゃんと出演したTBSの音楽番組。健太が少し離れてるのはギターが邪魔だったんだ。誰ですか?「足の太さで、YSちゃんが誰だか分った!」なんて言ってる人は(笑)!YSちゃんはハワイに何度か来てるみたいだけど、毎回会えずじまいです、、、。

  PartI、今日の映画はホテルマン必見!

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  1. 2005/08/21(日) 13:10:08|
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売れっ子女優YSちゃんとのレコーデイング

健太のなんちゃって、サクセス・ストーリーVol.74

 スカウトされたホリプロとは、とんとん拍子に話が決まった。
レコード会社はビクターレコードに初めから決まっていた。そしてビクターレコードでは健太たちを来年の新人のメインとして、莫大な宣伝費を掛けると言う。

 とりあえずその第一作目として、当時超一流のヒットメーカー吉田正作曲、佐伯孝夫作詞のコンビによるフォークソングに決まった。
しかしビクター側はその曲を、今売り出し中の女優とデユエットで歌えと言ってきている。
その女優の名前は伏せられていた。
<一体誰なんだ!>
しかし相手が誰であろうと健太たちはこれに猛烈に反発した。もし相手が有名女優ならなおさらの事、健太たちは無名タレントだ。万が一ヒットしてしまえば、必ずその手柄は彼女が持っていってしまうに決まってる。

 あまりの健太たちの反発に、ビクター側も折れてきて妥協案を出してきた。
つまり、通常レコードのにはB面(裏面)がある。しかし今回のこの新作レコードに関しては、健太たちを前面に出すため、両方をA面にしたいわゆるAA面レコード。そして片側は健太たちだけで歌うと言う案だ。
これで例え大ヒットしても、その有名女優一人の手柄にはならないと言う。
ホリプロの社長も健太たちを赤坂中華料理店に招待してくれて、説得してきた。美味しい中華をご馳走になった上、社長にまで言われて反発しても仕方が無い、それで行く事に決定した。
「健太、これがヒットしたら中華なんてけちは言わない、分厚いステーキをみんなで食べようぜ!」
ホリ社長の真剣な表情に、健太達も身の引き締まる思いがした。

 それからと言うもの、レコーディングも終わってないのに写真ばかり大量に撮った。しかしこいつだけはカメラ慣れしている健太たちにとって、お茶の子さいさい。
数々のスタジオで数え切れないほどの写真を撮った。
下の写真がそのうちの一枚。

 だけど問題はレコーディングだった。
歌はそれまでも歌っていたものの、レコーディングなんて普通のテープレコーダーにだって録音した事なんかない。
本番の日は近づいている。
健太たちはその女優と歌うレコーディング曲を徹底的に練習した。
ただ問題は健太たちだけで歌う曲だった。
急な決定だったので、録音寸前まで曲ができてこなかったのさ。結局その曲が出来上がったのはレコーディングの3日前。

 レコーディング当日、ビクタースタジオの健太たちはきっと青白い顔をしていたに違いない。緊張もさることながら殆ど徹夜で練習をしたからだ。
スタジオで最終練習する健太たちのところに、見覚えのある可愛い女の娘がやってきた。
「健太さんたちー、始めまして。私YSです。今日は宜しくお願いしますね!」
彼女の顔を良く見て驚いた、「YSちゃん!」。
今売り出し中の女優とは聞いてたけど、まさかYSちゃんだとは!

 アクション映画の「N映画」で、唯一清純派女優として売り出していた「YSちゃん」。実物の彼女は映画の中で見るよりずっと可愛いじゃないか、、、。
それにとても爽やか!

 「じゃ、テスト行きますよ。YSちゃん健太さんたち、いいわね!」
ディレクターの声がスタジオにスピーカーを通じて響き渡った。今回のディレクターはTKさん。ビクター切っての女性ヒットメーカーだ。彼女は金魚鉢の中にいる。

 健太たちとYSちゃんは離れたブーツに立たされた。
オーケストラが様々な音を出して、それぞれ指慣らしをしている。
健太たち4人は夫々ヘッドフォンを着けさせられた。
やがて指揮者の指揮棒が譜面台を「カチカチ」と叩いた。
テストを始める合図だ。
オーケストラが一瞬にして静かになった。
健太たち4人は不安と緊張で、互いに肩を寄せ合った。皆、がたがた震えていた。
ふと見上げると無機質に鈍く光るマイクが、健太たちを冷たく見下ろしているじゃないか。

<なんだか、マイクが怖い、、!>

 写真はその頃スタジオで撮ったうちの一枚。

 PartI、お気の毒なハワイのマネージャーさん達!(笑)!

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  1. 2005/08/20(土) 12:32:58|
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ストリップ劇場でギター何か弾きたくない!

健太のなんちゃって、サクセスストーリーVol.73

 撮影所内でバンドを組んでから健太たちは急激に所内で引っ張りだこになった。前にも書いたけど、映画の中でバンドの需要はいくらでもあったのさ。
ナイト・クラブのシーンとか、どさまわりの一座とか、歌謡映画とか。

 中でも当時「橋幸夫」のヒット曲の映画化、歌謡映画「恋をするなら」もその中の一つ。
ベンチャーズもこの頃は全盛期で、橋幸夫のその曲も何処かベンチャーズ・サウンズを思わせた。出演依頼を受けた時は大喜びだった。しかし結局この映画で健太たちはほんの一寸後ろで映っている程度だったような気がする。
<幾ら忙しくなってもやっぱり、バックはもういやだ!>
そう思って何とかメージャーへの道を模索していた。

 巷では雨後のタケノコのようにあっちこっちでバンドが組まれ、一時「エレキ・ギター」は悪の温床とまで新聞には書き立てられた。
一方映画界では東宝で「加山雄三とランチャーズ」、日活で「山内賢とヤングアンド・フレッシュ」など撮影所内でバンドを組む事も流行り始めた。もちろん松竹では健太たち「ザ・ダイアモンズ」。

 映画の中で、派手なロックっぽい音楽での出演なら未だ良かったけど、時々ストリップ劇場かなんかの設定でバンドをやらされる事もあって、こいつは健太にとってはえらく屈辱的だった。
「俺たちなこんな、イモバン(かっこ悪いバンド)じゃねえ!」
なんて、ぶつぶつ言ってそれでも仕方なく出演してた記憶がある。
で、その頃何時も仲間や所内の俳優たちと将来の話が出た。
「お前たちは、そうやってバンドやってるけど、年取った時のこと考えてみた事あんのかよ!」
そう言われていつも頭に浮かんで来たのは、年取って頭も禿げてきて、それでも未だ場末のストリップ劇場かなんかの暗い片隅で、ギターを弾いてる自分の姿!
<そいつだけは、勘弁してくれ!>
そう心の中でひそかに思っていたので、
<陽の目は見たいけど、プロになるつもりは無いなあ、、、、>
と言う、甚だ矛盾した気持ちでいた。

 しかし、それがホリプロのスカウトでメージャーデビューって話が出てきた時から、そんな考え方はまるで吹っ飛んぢまった。それどころか、わき目も振らずまっしぐらその世界へ飛び込んで行ったのさ。
惚れてもいない女の娘に裸で迫られて、ただ夢中にむしゃぶりついちゃった、、、って感じかな(笑)!
でもそれでよかったと思ってる。だってこうして年を取っても、禿げてはいないし、暗いストリップ劇場の片隅でギターも弾いていない。それどころか、こんなに明るいハワイの太陽の下でギターを弾いているじゃないか(笑)!

 写真はナイトクラブのシーンでギターを弾く健太(右下)。
メンバーがまだ決まっていなかった頃。
左端ベースは後に「大下哲也」としてTV映画にて大活躍、一時悪役商会にも所属していた。
その隣トランペットは「力石勝彦」、モデルとして後に大ブレーク!彼の出ていない雑誌はないほどの売れっ子だった!
ドラマーは健太たちのオリジナルメンバー、今も一緒にハワイにいる。彼は現在ホテルでレストランを経営している。
ピッコロは芸能界を早く引退した「坂田芳雄」。彼は映画で洗濯屋とか八百屋の御用聞きなんかの役で超売れっ子だった。

 Part I、複雑な社会アメリカ!

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  1. 2005/08/19(金) 12:55:44|
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ボクサー役に挑戦の健太!

健太のなんちゃって、サクセス・ストーリーVol.72

 例え端役でも、健太は色んな役をやらされた。
この前も書いたけど、時代劇の下っ引きとか、学生、兵隊さん、旅役者、ボクサーなどなど。
その度に衣装を着せられドーランを塗って待機する。
このことに関しては、どんなに端役だって主役と同じ。

 当時の年齢から言って一番多かったのは主役の取り巻き。
セリフはなくても、何時も主役の周りをうろうろ。
初めのうちは何もわからず、ただそうしてうろうろするだけだった。
だからラッシュ(取り終えたフィルムを部分部分再生してチェックする作業)を見ても、馬鹿みたいに主役の周りに立っている自分を見てうんざりしたもんだ。

 しかし撮影所生活も半年過ぎた頃になると、だんだん要領が良くなってきた。
つまりラッシュを見る限り、ただ単に主役の周りをうろうろするだけだと返って不自然な時がある。
そこで考えたのは、主役のセリフや行動を常に注意して見守り、それに合わせた「勝手な一言」を発することにした。

 例えば、
ある学園物語で主人公の学生が、校内で起きた盗難事件であらぬ疑いを掛けられたなんて設定で、クラブ活動の最中、仲間の前でこんなセリフがあったとする、、、。
「冗談じゃない! 俺がそんな事やるわけが無いじゃないか!」
相手役の女の娘はそれに答えるように、
「そうよ私たちは、XX君を絶対信じてるわ!」
と叫ぶとする。
そこで台本には、周りの生徒は何も言わない事になっていたとしても、健太は勝手に一言喋る。
「俺たちも信じてるぜXX !」
こいつをテストではやらず、本番の時にやってやるのさ。
だってその設定では、他のクラブ員が黙ってる方が不自然だ。
でもその健太の一言は実は非常に難しい。
そのタイミング、声のトーンそして表情。
下手すればその場の雰囲気を台無しにしちゃう。

 そうした勝手な行動にも大抵の場合、監督も何も言わずに本番OKをくれた!
ラッシュを見ても、なかなか良い出来になってることが多い。

 なぜこんなことを積極的にやったか、、。
その場の不自然さをなくす為もあったけど、実は「役手当て」と言うのがあったからさ!
映画が出来上がった時スルーで演技部の係りが作品を見て、俳優の「役」チェックするんだ。
この「役」か「役じゃない」かの判断は、セリフを喋ってるか喋ってないかで決まる。
単なる「ガヤ(エキストラ)」か「役」か、で出演料が桁違いなんだ(笑)!

 写真はボクサー役の健太。この表情はボクサーとはとても思えない下手糞な表情でした(笑)!

 Part I、困った国、アメリカ!

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  1. 2005/08/18(木) 13:07:03|
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ミミが怒った!

健太のなんちゃって、サクセス・ストーリーVol。71

 健太たちのファンにはローカルの男性も多かった。
彼等は健太たちを釣りに連れて行ってくれたり、ゴルフに連れて行ってくれたり。
時間も金も惜しまずよく面倒を見てくれた。
かと言って別におかまでもないし安心して付き合えた(笑)!

 でも中には、得体の知れない男も健太たちに付きまとった。
そいつの名前はMr. J。
そいつは大概、健太がK子やミミ、その他のメンバーがそれぞれのガールフレンドや他の女の娘といると必ず顔を出す。
はじめはおかまでもなさそうなので,放っておいた。と言うか仲間に入れて一緒に遊んでいた。
でも今考えると不思議なのは、必ず健太たちが女の娘といると、突然「Like Like 」や「Cocos」 「Tops」「 Village inn 」といったところに顔を出すんだ。
それでも最初は何の不自然も健太たちは感じていなかった。

 ある日ミミと映画「ゴッドファザー」を見に行った。
映画が終わってカラカウアの映画館「ワイキキのナンバー3」を出たところに、Mr. Jが立っていた。
「ハーイ、健太。俺もこいつを見に来たんだ。結構面白かったな!」
健太もミミも合い槌を打って暫く3人は駐車場へ向かって歩いた。
「どうだ、良かったらこれから夕食へ行こうよ!」
彼はそう言うと、健太たちを当時一流とされていた「ニックス・フィッシュ・マーケット」に連れて行ってくれた。
メニューはもちろんロブスター。なかなか普段ロブスターなんか食べれない!

 それから数日か経ったある朝ミミと2人で「Like Like」で朝食を食べているところにMr. Jがやってきた。
「Hi, how are you guys doing!」
Mr. Jが健太たちのブーツに近づいた途端、ミミが激しい表情で健太に言った。
「ケンタ、カプシダ!(健太行きましょう!)」
あっけに取られている健太の袖を引っ張ってミミは店を出て行こうとした。
仕方なく健太は会計を済ませてミミのムスタングに乗り込んだ。
「オッテソヨ?(どうしたんだ?)」
発進した車の中、ミミは厳しい表情で前方を見つめたまま激しい口調で言った。
「クセキヌン、ナッップンセキヤ!(あいつは悪い奴よ!)」
「オエ?(なぜ?)」
ミミの話はこうだった。あの映画を見に行った晩、ミミの車から健太がアパートに降りた後、あいつはひそかにミミの後をつけて来たらしく、ミミがアパートの駐車場に車を止めようとした時、声を掛てきたと言う。
「これから踊りに行こう」と言ったらしい。
もちろんミミは口も利かずにアパートへ入った。

 それから暫く、Mr. Jの姿をOナイトクラブで見かけなくなった。
後で仲間に聞いた話で分かった事は、他のメンバーも同じような経験をしていたらしい。

 写真はヒルトンラグーンにて。健太の肉体美(笑)!このお姉さまは誰だか覚えてないなー、、、?

 PartI、ワイキキで元祖不良親父と再会!

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  1. 2005/08/17(水) 13:24:06|
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若い時は、世話になれる時ははなっておけ!

健太のなんちゃって、サクセス・ストーリーVol.70

 キヨさんはその後デビッドと相当すったもんだが有ったけど、健太の協力で無事に別れられたようだ。
デビッドが健太に何か言って来るかと思ったけど、あんずるより生むが安し、その後何も無かった。
健太はおかげさまで、欲しかったモズライト・ベンチャーズ・モデルを手にした。
もちろんこの事以外でも、キヨさんには散々世話になった。
お礼に彼女の息子にギターを教えてあげたのを覚えている。
 
 でも若いうちは「世話になれる時は、世話になっておけ主義」で良いと思う。年を取れば誰も気にかけちゃくれやしない。甘えられるのも「今のうち!」って気持ちだった。まだまだ学生の延長って気分。
Oナイトクラブの客が飯を食わせてやるとか、カウアイ島やマウイ島等他島に連れてってくれるとか言われたら、恥も外聞も無くひょこひょこ付いて行った。もちろん経費はあちら持ち(笑)!

 気をつけなきゃいけないのは、相手が女性の場合絶対一人では行かない事。必ずメンバーと一緒に連れてってもらう。
貞操の危機だって考えられる(笑)!
中には狂信的なファンもいたんだ!

 そりゃ女性に襲われたって、逃げられるに決まってるけど、そこは男の子。甘い香りに誘惑されて、「ついうっかり」なんて事もある。男とは困った動物です、、、(笑)!
そこは事前にメンバー同士で話が出来てる。
健太が誘われたらアキも一緒に連れてってもらうように交渉する。クリが誘われたらアキも連れてってもらう。スギが誘われたら、クリも連れてってもらう。これでメンバーの貞操はOK!
もちろん、自分からそういう関係になりたい時は本人の自由だけどね!

 初めて連れて行ってもらった他島は「カウアイ島」だったと思う。
何しろ何十年も前の話、確かな記憶がない。あの時は確か全員で行った。
始めて見るカウアイ島にメンバー全員感激、そしてまた感激!
その時連れて行ってくれたのはローカルの2人の女の娘。2対4じゃあまず心配ない(笑)!

 リフエ空港から、ポイプ・ビーチ、スパウティング・ホーンに一寸寄って50号線を一路西へ。
やがて見えて来るハナペペ渓谷。ハナペペの緑につつまれた田園風景は何故か郷愁を誘った。それは日本のどこかの田舎を思わせる風景。
ハナペペを過ぎると景色はまた、南国ハワイ独特の風景。
キャプテン・クック上陸記念碑を過ぎケカハ・ビーチへ。人気の無いビーチは古代ハワイを思わせる。
そしてメネフネ・ディッチへ。
そこで聞いたハワイの伝説はとても興味深く、健太はハワイの伝説を徹底的に勉強したくなった。後にかなり本格的にこいつに挑戦、今や一冊の本は書けるぐらいの資料が手元にある。

 メネフネ・ディッチを過ぎるころ車は山間部に入る。
そこはもうワイメア・キャニオン。グラド・キャニオンを思わせる段々岩の渓谷。
グラド・キャニオンよりは小型ではあるけど、決してそれにひけをとらない美しさだと思う!
驚いた事に、そのルックアウトの脇の茂みに、「びわの木」がたわわに実をつけていた。あんなところに「びわ」がなっていたんだよ!
ワイメア・キャニオンを過ぎて更に奥へ。
そこにはコケエ州立公園、コケエ・ロッジがある。
その公園を少し奥にはいると、もう行き止まりだった。
そして足元は断崖絶壁。遥か下のほうにはナ・パリ・コーストが見える。
この辺りは有名なトレッキング・コース。
このナパリコーストのトレッキングには丸3日間かかる。海岸線や、断崖絶壁が延々と続くと言われる。その美しさは、世界でもトップクラス。
それだけに、健太が立ったその絶壁から見える遥か下に見える海岸は、見事なまでに澄み切ったハワイの中のハワイ。とてもオアフ島では見れない景色だった!

 現在他島での一番人気はマウイ島、そしてハワイ島。カウアイ島はどん尻人気。
しかし当時は「庭園の島」と言われて、カウアイ島は他島の中で一番人気だったんだ。
人気が落ちた原因は1992年にカウアイ島を直撃した「ハリケーン・イニキ」。
イニキはカウアイ島に壊滅的な打撃を与えたからね!

 えつ?4人の貞操は?
もちろん大丈夫でした(笑)!
宿泊はシダの洞窟のワイルア川に近い、カウアイ・リゾート・ホテルだった。

 健太は昔世話になった分、この何年か前から恩返しを始めてます。それは世話になった本人でなくてもかまわないと思う。世の中全て順繰りさ(笑)!

 写真は後に行ったマウイ島、ハレアカラの休火山。健太は良くーにエルビス・プレスリーに似てるって言われるけど、、、うーむそう言えば似ているなー(笑)!
 
 Part I、今日はブログ読者長崎さんとBOZUへ! 

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  1. 2005/08/16(火) 12:47:18|
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えっ、ギャンブラーだったの!

健太のなんちゃって、サクセス・ストーリーVol.69

 「健ちゃん、相談があるんだけど、、、」
ある日ウエイトレスのキヨさんが声を掛けてきた。
キヨさんは0ナイトクラブの人気ウエイトレス。彼女は自分の固定客を持っていて、沢山の客が彼女を毎晩指定してくる。
ウエイトレスはホステスとは違って、客と同席はしない。ただその客の注文を聞いて飲み物を運ぶだけ。それでも人気ウエイトレスとそうでないウエイトレスの稼ぎは雲泥の差だった。
で彼女たちは健太たちバンドメンバーに客を紹介してくれる。健太たちはそこで飲み物を買ってもらったりチップを貰ったりする。
キヨさんは何時も良い客を健太に紹介してくれて沢山稼がせてくれた。

 「明日ランチに付き合ってくれる?」
キヨさんは健太より20歳は年上のおばさん。変な要求はないのは分かっていた。
翌日キヨさんは昼過ぎに健太のアパートに迎えに来た。
紺色のでっかいシボレー・インペラの助手席に健太は乗り込んだ。
車は一路「レストラン・トップス」へ。

 トップスは現在のトーダイの辺りにあった。
そこのフレンチ・フライ(ポテト・フライ)が当時としては珍しく皮のついたままの奴で、健太は気に入っていた。
「健ちゃん、私のボーイフレンドになってくれない?」
「えっ、、、!」
キヨさんはシェフ・サラダを突っつきながら上目使いで健太を見直した。
キヨさんの目はぱっちりと大きくてとても魅了的だった。背もすらっとしてすごく素敵な人だけど、一寸年が、、、。
健太はフレン・チフライを頬張りながら返答に困った。
「ハハハは、、、」キヨさんは大きな声で笑った。
「何よ、健ちゃん私そんなに魅力ないかしら」
キヨさんは肘をテーブルについてあごを手のひらで支えながら色っぽい目で健太を見た。
「い、いや中々すてきですよ!で、でも、、、」
キヨさんは更に大きな声で笑って、
「心配しないでいいわよ!本当の事じゃないわよ!」
「本当の事じゃないって?」

 キヨさんは急に真顔になって話し始めた。
「私に今彼氏がいるの。もうかれこれ1年半程付き合ってるんだけど、実は彼、私のお金が目的で私に付きまとってるだけだって、最近分ったの。それからってもの、すっかり彼に嫌気が差しちゃってね。何とか別れようと思ってるのに、しつっこく付き纏って離れないのよ、、」
キヨさんはニュー・ポートにジッポーで火をつけた。
緑色のニューポートのパッケージが洒落ている。
「私たちは毎週ボーリングのトーナメントで違うチーム同士として会うんだけど、そこに健ちゃん、私と一緒に行ってくれないかなあ、、、」
「ボーリングのトーナメントにですか?」
「そう。正確に言うと暫く色々付き合って欲しいわ。彼が私を諦めるまで。つまり、健ちゃんが私の新しいボーイフレンドの振りをしてくれりゃそれで良いのよ。別にあんたが欲しいわけじゃないから、心配いらないわ(笑)!」

 健太は次の言葉が出なかった。
<そんなことして相手を怒らせて何か問題が起きたらどうするんだ!>
心の中で密かにそう思った。
「健ちゃん、私も0ナイトクラブのナンバーワン・ウエイトレス。只でやってくれとは言わないわ。ちゃんとボーイフレンド料払うはよ。もちろん肉体関係なしでね。何か欲しい物がある?それを買ってあげてもいいわよ(笑)!」
<えっ、欲しい物?、、、そう言えば!モズライト・ベンチャーズ・モデルのギターが欲しい!高くて健太にはまるで手の出ない代物!>
健太の欲が頭をもたげた。
と言うよりギターの事となると、まるで良し悪しの判断が出来なくなる!

 ハワイのボーリング場は夕方になると何処もトーナメントが盛んでいっぱいだ。
その週末、健太はキヨさんの手を握ってボロ・ドローム・ボーリング場へ入った。
キヨさんは彼女のチームの連中に健太を紹介した。
「This is my new boy friend Kenta!」
メンバーたちは驚いた目付きで健太を見た。

 ゲームは進んでゆく。
健太は只の見物人。キヨさんは自分が投げ終わるとビタリと健太にくっ付いて離れない。
第一ゲームが終わった。キヨさんは180点。
女性にしては中々上手い。
と、そこに他のチームから40がらみの男がやってきて来た。
肩幅の広い四角い顔がやけにいかつかった。
「ヘイ、キヨ!」
キヨさんの目が一瞬うろたえたように見えた。
「Hi david! how was your first game?」
デビッドと呼ばれる男は時折ちらちら健太のほうを見ながら、
今日のゲームはひどいもんだった、と言うような事をキヨさんに言ってた。
「David may I introduce my friend ?」
キヨさんは今度「Boy」を付けずに健太を男に紹介した。
男は健太をパズルな表情で握手の手を差し伸べてきた。
「I am David」
「Hi, my name is Kenta」
デビッドの手は分厚く力強かった。
デビッドは暫くキヨさんと話した後、こっちを何度も振り返りながら、自分のチームの方に戻っていった。

 ゲームが終わった。
キヨさんのチームの成績は芳しくなかったようだ。
「健ちゃん、これからが勝負どころ。ちゃんと私の手を握ってこのボロ・ドロームを出るのよ!」
健太はボールを片付けるのを手伝いながら、健太は変な緊張を覚えた。

 ボロ・ドロームの建物を出て裏の駐車場に健太はキヨさんの手を握りながら出て行った。
紺色のシボレー・インペラのトランクにキヨさんのボールを入れて健太は運転席についた。
エンジンを駆けた途端、一台の白いキャデラックが猛烈な勢いで、健太たちのシボレーの助手席サイドに横付けにされた。
「Kiyo,Watch out what you do!」
キャでラックの窓からデビッドは叫ぶと、砂埃を上げて駐車場を出て行った。
「キ、キヨさん、大丈夫?」
キヨさんはタバコに火を付けると急にはすっぱな態度で言った。
「フン、あんなへなちょこギャンブラーに何が出来るってのさ!」
健太は耳を疑った。
「えっ、か、彼ギャンブラーだったの?聞いてなかったじゃない!」

 得体の知れない不安感が健太を襲った。
脳裏のベンチャーズのギターが浮かんだり消えたり、、、、

 写真上は当時K子が住んでいたアパートの前で。下は今の健太のところからそれ程遠くないので、同じアパートを先週撮ったもの。アパートはそんなに変わらなくても、車が違うね(笑)!新しい方の車は今めちゃ売れのトヨタ・カムリー2005年型。

  Part I、ムービーマンは興奮して、お姉さまの手を握った!

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  1. 2005/08/15(月) 09:59:47|
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今に見ていろ、バラが咲いた!

 健太のなんちゃって、サクセス・ストーリーVol.68

 こうして古い写真を見ていると、当時の情景が目の当たりに浮かんでくる。
この写真は、当時日本の作曲家としてはトップクラスの浜口庫之助さん(ひげの親父)がOナイトクラブに来てくれたときの物。

 当時の彼の作った曲、バラが咲いた、夜霧よ今夜も有り難う、星のフラメンコ、黄色いさくらんぼ、夕日に泣いているなどなど、軒並みヒット曲となった。
彼のおかげでスターになった歌手は山のようにいる。
だから健太はこの時抜け目なく日本帰国後の話を彼とした。彼は健太たちの音楽を聴いて「君達のやってることは実に新しい試みだ!」とほめてくれた。
いや、ほめてくれたと思ったんだ(笑)!
そこでこのOナイトクラブの契約が終わって日本に帰国した暁には、健太たちをぜひ応援して欲しいと頼んだのさ。
彼は酔った勢いかどうか知らないけど、二つ返事でOKって言ってくれたんだ。

 4ヶ月の契約が終わって、メンバーを説得してもう一度日本でヒット曲を出そうと誓い合った後、健太たちはこの浜口さんに、レコード会社のプロデューサーを連れて会いに行った。
忙しいスケジュールを裂いて会ってはくれた物の、健太たちを後押ししてくれるとは言わなかった。
それどころか「そんなんことを言った覚えがない!」と、プロデューサーを通して後で言ってきたそうだ。

 酒の席の事、別に健太はどうでも良いと思ったけど、気分はすぐれなかった。
くそーいまに見ていろ、あんたが健太に「私の曲を歌ってください」と言ってきても絶対に断ってやる!
そう思っていた。

 でも残念ながらそんな機会はやってこなかった、、。
彼はあの世にとっくに行っちゃったしね、、、。

 しかし今こうして健太が頑張っていられるも、そういった数々の悔しさを「ばね」にしてきたからだ。
「今にみていろ!」
この精神は何をやるにも絶対的必要条件だ!

 PartI,これぞ、ハワイの景色(笑)!


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  1. 2005/08/14(日) 08:54:05|
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どん底で、人はどうしたらいいのか!

 健太のなんちゃってサクセス・ストーリーVol. 67

 雲に映る微かな光。
よく見るとそいつは長い線だ。それも2本見えるじゃないか!
<まてよ、こいつあー、、、、>

 街中でよく見た光景。
その頃、どこかの店でセールやイベントがあると「サーチライトで上空を照らしてそれを知らせる」、って言う宣伝方法があったんだ。
そのサーチライトに間違いは無い!
しかし健太ジュニアはすっかりUFOと信じている。
<夢を壊しちゃいけない、、、、>
健太はひそかにそう思って、そのからくりを彼には告げなかった。
第一あの時の彼の嬉しそうな顔を見たらそんな事は口に出せるわけがない。
それ以来彼は何処にいってもそのUFOの話をしては自慢していたっけ(笑)!

 学校の成績は健太には似ても似つかず、常にクラスのトップ。
英語の発音も健太は彼に良く注意された(笑)!
そんな彼も東京のお姉ちゃん(荒木師匠)に会いたい、お母さんにあいたいと言っては何時も健太を困らせた。
結局小学6年生の初めに、彼は東京に帰ることになった。
彼も母親の暖かさが必要だったんだろう。

 それから20年、(その間、一度東京の秋葉原で仕事をしていた彼と会った事がある)荒木師匠の結婚式のために彼がハワイにやって来た。
是非とんまにも紹介したかった。
とんまには彼がとてもハンサムで素直ないい子だと、前々から伝えてあった。
とんまの彼に初めて会った時の第一声は、
「わー、背が高い!」
健太より4、5cmは背が高かった。

 人生様々なことが横たわっていて、色んな経験を「させられる」!
誰も好き好んで苦労をしたいなんて奴はいやしない。
良く「自分から苦労を選んだ!」なんて言う人もいるけど、それはむしろ「自分を冒険の中に身を投じた!」と言う方が正しい言い方なんじゃないかな、、、。

 常に安住の地に根を生やして生活をするのも人生のうち。でも健太にはそれはたまらなく退屈な人生に思えてならない。
誰も明日がどうなるか分らない!
だったら短い人生、その「冒険」の中に身を投じて様々な経験をした方が得じゃないのかな?
どうせいつかは死ぬんだ。

 一番難しいのは、その冒険の中に身を投じて失敗してしまった時どう立ち直るか、、、、。

 実はこの「健太のなんちゃってサクセス・ストーリー」、最初は途中から「とんま編」になる予定だった。
しかしとんまは未だそういうことを公表するには、少し若いのかも知れない。
「今は書かないで!」と言っている。

 彼女の冒険は健太の冒険と同じように面白い(今だからそう言える、、笑)。「波乱万丈!」って言葉がぴたりくる。
行く行くは彼女からOKが出次第、その「とんま編」書きたいと思ってます。

 でも、彼女のどん底の時の一言が健太は大好きだ!
「人生溺れそうになったら、一度その川底まで落ちてしまうの!そして川底に着いたら、思い切ってその川底を蹴って、一気に水面に出るのよ!」
きっとこの一言は溺れかけているものにとって、とても良いサジェスションだと思います!
 
 写真は荒木師匠が式を挙げた、「コオリナ・チャペル」。

 Part I、たまには人の意見もきいてみたら、、、

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  1. 2005/08/13(土) 12:59:00|
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あっ、UFOだ!

健太のなんちゃって、サクセス・ストーリーVol.66

 また一つ白状しなきゃならない(笑)!
実は健太に男の子がいる。
荒木師匠の弟にあたる。
彼は一時ハワイに住んでいた。
健太はどっちかと言うと濃いけど、彼はすっきりとした目鼻立ちの醤油顔。

 人は誰でも自分の嫌いなところが有るけど、健太は自分の濃さが嫌い。そんな意味で健太は息子のそんなところが好きだ。
性格もおっとりとしていて、とてもいい青年に育っている。
彼がハワイにいる頃の健太は最低生活をしていた。そんな事から彼はハワイが好きではないようだ。今彼は東京にいる。
友達と始めた事業が軌道に乗って、もう自分で家を買えるほどになっている。

 彼がハワイにいる頃の学校の成績はトップクラスだった。
通信簿にはAがずらっと並んでいたのを覚えている。
健太の子供の頃の通信簿とは全く違う(笑)!
とにかく驚いたのは彼は英語の発音が綺麗なので、良く褒められた事。
普通のローカルの子よりずっと白人なまりの英語を話したからだ。

 彼は空を見るのが好きだった。
夜になって健太と空を見ながら彼は言った。
「パパ、宇宙人はね彼らの科学がとても発達しているので、僕たち人間がこうして空を見ながら『UFO出て来い!』って願うとそれをちゃんと察知してくれて、現れてくれるんだってさ!」
「へー」健太は間の抜けた返事をしてまた空を見上げた。
彼は頭をたれて目をつぶり、それを願い始めたようだ。
仕方が無い、健太もやってみた。

 暫くして目を開けて空を見上げた。
「あっ、パパ!あれを見て!」
息子は興奮した声で空を指して叫んだ。
「な、何だあれは!」健太も叫んだ。
二人の見上げる空はそれほど高くない。その晩は雲が多かったのさ。
その雲の上を這うように、薄い光が動いては止まり、また動いては止まりしている。
「あ、あれはUFO!!」
二人は恐ろしさと、その感激とでしっかり互いの腕をつかみ合った!

写真はハワイ平等院で健太ジュニアと一緒に(笑)!

 Part I、日本が良くならなきゃ、ワイキキもよくならない!
 


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  1. 2005/08/12(金) 12:59:42|
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スターさんの豪邸にお呼ばれ!

   健太のなんちゃって、サクセス・ストーリーVol.65

 昔TVより映画の方がメージャーだった時期がある。
その頃映画スターといったら、いわゆる本当の「スター」!
大邸宅に住んで外車を乗り回し、付き人がいて撮影所のスタジオ内でも特別席に座っている。

 その頃一体誰がスターだったか?これを読んでいる若い人たちも名前くらいは聞いた事がある人ばかり。
健太がムービースターを目指した頃のスターと言えば筆頭は何と言っても日活の「石原裕次郎」。
それについで東宝の「加山雄三」、大映では「勝新太郎」。東映では「中村錦
之助」などなど。もちろん彼等は健太達より大先輩!

 健太のいた松竹はやっぱり寅さんの「渥美清」、、、って言うか、スターはやっぱり「佐田啓二」かな、、、、。
でもその佐田啓二さんも健太が松竹に入ってすぐに、交通事故で亡くなられた。
佐田啓二さんは我々新人や下っ端の俳優をとても大切にして下さった。
良く彼の家に遊びに行った。

 健太のアルバムに貴重な写真がある。
田園調布の佐田さんの家に遊びに行って(多分あれは彼の誕生日だったと思う)全員で撮った写真さ!

 下段真ん中にいるのが佐田啓二さん。皆も顔くらいは知ってるかな?
で、健太は右端にいてそのすぐ左側にいる子供をあやしているんだけど、その子はなんと、

 「中井貴一」さんです(笑)!
って事は、真ん中に辺にいる女の子(三上慎一郎さんに抱かれている)は「中井理恵」さんだ~~~~!!!


 それから20年、「プルメリアの伝説」と言う映画のロケで中井貴一さんは健太が当時仕事をしていた「ハワイアン・リージェント・ホテル」へやってきた。
松田聖子さんと見詰め合うロビー・カフェのワンシーン。その彼を野次馬の一人としてじっと見まもっていた健太の胸に、熱いものが「じーん」とこみ上げてきたのを昨日の事のように覚えている。

 写真は中井貴一さんをあやす健太(下段右端)!

 Part I、カトンク=Katonkって何のこと?

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  1. 2005/08/11(木) 12:48:31|
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怖いおじさんがいっぱい!

   健太のなんちゃって、サクセス・ストーリーVol.64

 Oナイトクラブで(最初のハワイ)健太達のライブを見に来た数知れないお客さんには多種多様、実に様々な人たちがいた。
豆腐屋、土建屋さん、タクシードライバー、サイミン屋、バーのホステス、ギャンブラー、シンジケート(やくざ)、麻薬のバイヤー、、、
などなど。
いずれにせよこの南国の夜の世界の事、怪しげな奴が半分以上(笑)!

 ホスト状態で客席に呼ばれていやだったのは、その怪しげな連中の席に呼ばれる事だった。
バーのホステスは、そうした客たちを何時も連れくる。
男たちはバーで飲んだ後ホステスたちを何とかものにしようと、彼女たちに声を掛ける。
無下に断れない彼女たちは、バッファー(緩衝)として健太達の出演するOナイトクラブを利用していたのさ。
だから夜中2時過ぎると、店内はホステス達で半分は埋まる。
またホステスたちの中には、そうして通っているうちに健太達のファンになってくれて、ホステスたちだけで来る場合もあった。

 嘘のように「もてた」のも事実だけど、嘘のようなおっかない話がごろごろしていた。
「健太、誰か気に食わない奴がいたら$50。そいつぁ、すっといなくなるよ、、」
「健太、お前は日本にコネがいっぱいあるだろう?どうだ、運び屋やらねえか?一回やりゃ10年は食っていけるだけ稼がしてやるけどどうだ、、、」
まるで映画のシナリオのような会話が飛び交っていた。

 中には前にも書いたように日本からの「その筋」の連中もかなりいた。
ミミを紹介してくれた「マサ」。彼は単なるちんぴらだったようで、日本で何らかの事件を起こしてハワイに逃げ込んでいただけの話らしい。その後またメインランドに逃げたと言う噂でその後姿を見なくなった。もしかしたら消されたのかもしれない。
 
 常連客のMr. Jもその一人。彼は浅草のその世界では名だたる「その筋」のひと。
彼の行動は派手で、常にローカルのシンジケートといざこざが絶えなかった。
何回も彼が危険な目に会ったのをこの目で見ている。
夜の駐車場で撃たれたり、ダイナマイトを車に仕掛けられたり。しかし幸運にもその都度一命は取り留めていた。

 「健太、葬送行進曲を演奏しろ!」
ある晩、韓国のホステスと一緒に来たMr. J、かなりの酩酊状態で健太達にそういって絡んできた。
縁起でもない、葬送行進曲などやった事あるわけが無い。
しかしその夜のMr. Jは一寸やそっとでは引き下がらなかった。
何時までたっても葬送行進曲を演奏しない健太達に痺れを切らして、彼はステージに上がってきてマイクを取った。
「昨日俺の兄弟分が日本で殺された。だから今晩は健太達に『葬送行進曲』を演奏してもらう!」
「えつ、、、メロディーもわかんないよ!」
「馬鹿野郎、そのくらい知らないでどうするんだ!ジャンジャージャジャーン、ジャジャ、ジャーンジャジャジャーン!あれだ!」
<あーそのメロディー知ってる。あれかー、、、>
仕方なしに健太達はその同じフレーズだけ何度も繰り返した。
何回かやって曲を終わらせるとMr. Jは幾らか満足したのか、ぶつぶつ言いながらステージを降りていった。

 それが健太が見たMr. Jの最後の姿だった。
それから何週間かして彼の死が新聞紙上で大々的に報道された。
彼は自分のコンドでバーの女とベッドで寝ているところを、マシンガンで女もろとも蜂の巣にされたのだ。

 写真は健太たちが始めてきた頃のラビットアイランド!

 Part I、アメリカで成功したかったら、良く喋れ!!

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  1. 2005/08/10(水) 13:16:15|
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メンバーで兄弟なんて真っ平だ!

 健太のなんちゃって、サクセス・ストーリーVol.63

 健太達バンドは4人。
初めてのハワイライブ出演は4ヶ月間の契約。その間にそれぞれガールフレンドが出来た。
いくら決まった彼女がいても隙を見ては、あっちこっちで火遊びをする。
若い証拠(笑)!
なにしろ初めて来たハワイ。ローカルの女の娘も、コリアンの女の娘も、ハッパ(ハーフ)の娘も健太達にとって皆可愛くて魅力的に見えた。
それに加えてこっちの娘は日本の女の娘のように、男性に対して警戒心など持たない。
だから中には健太にチャンスが無いと見るとスギに、スギにチャンスがないとアキに、アキにチャンスがないとクリに、、、。要するに4人の誰でもいいから遊ぼうとする娘もいた。
そこで起こる問題は、健太バンド全員兄弟説。
こいつだけは健太もバンドリーダーとしてなんとか避けたかった。
こんな不名誉な事はない。それと、不思議なもので身近なものほどそういう事となると嫌悪感が強くなる。
<えつ、あいつと兄弟、、、、>
これほど汚らわしい事はない。

 「健太がいるじゃないよ!」
隣のベッドでアキとT子がなんだか囁きあっている。
「寝てるよ健太は。健太起きてるか?」
アキが健太に声を掛けた。
健太はもちろん未だ寝ていない。でもいかにも寝た振りをして微かな寝息を立てた。
「ほら、寝てるじゃんか!」
うっすら目を明けて様子を見ると、ブランケットをはだけた二人は裸になった。
<こいつら、俺がいるってのに始める気だぜ!>
アキはT子のにキッスをしてあっちこっち触り始めた。
「あーん!」
M子のあえぎ声。
<こ、こいつは困った、、、>
健太はわざと彼等に背を向けた。
<あいつらのそんな姿みたくないぜ、、、!>
それでも耳を澄ましていると、今度はなんだかやらしい体位になってお互いの部分にキッスをしているらしい。
「Solty!」
T子がつぶやいた。
<な、なんてこった。や、やめてくれ!>

 健太は結局その夜一睡もできなかった。
アキとT子はその後、快い疲れに身をゆだねグーグー寝ていた。
良い気なもんさ!
だけど今考えるとなぜ健太がそこ一緒にい合わせたのか、まるで思い出せない。

 で、前にも話したけど健太もアキも当時のガールフレンドはスッチー。
それから何日かして、アキの彼女がフライトから戻ってきた。
健太のK子はその時世界一周に出てまだ戻っていない。その時ミミとはどうだったのか覚えてないけど、
T子が健太のところにやってきた。
「ねー、健太今晩あいてる?」

<危ない危ない、健太はアキと兄弟なんて真っ平さ!>

写真はOナイト・クラブの前。胸のジャラジャラが気になる(笑)!

 
 Part I、君もハワイのロコになれるよ!


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  1. 2005/08/09(火) 13:58:38|
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スカウトがやってきた!

  健太のなんちゃって、サクセス・ストーリーVol.62

 とにかく撮影所では全く売れない健太。
このままでは一生端役で終わってしまう。
そんな時、イギリスのポップス界では一大旋風が起きていた。
言わずと知れた「ビートルズ」!
またそれとほぼ時を同じくして、アメリカのインストルメンタル・グループ「ベンチャーズ」が日本で爆発的人気になって来た。

 「バンドを作ろう!」
健太は早速普段から健太のギターにあわせて歌っていた連中に声を掛けて、本格的にバンド結成をする事にした。
何しろまともにギターを弾けるのは健太だけ。それですら譜面も読めない単なるアマチュア。特訓が始まった。
撮影のないときは、演技室を借りて猛練習。
金のないメンバーだけど、月賦で夫々楽器をっ買った。

 しかし所内で初めのうちは単なる雑音製造不良俳優。
撮影の合間を縫って休んでいるスターさんから苦情が来るは来るは!
中でも当時の大御所女優「岡田茉莉子さん」は頭から湯気を出して怒り狂っていた。
連日の強行スケジュールで寝不足。撮影の合間にやっと寝れると思ったら、健太たちの大音響。これじゃ怒るのも当たり前。

 それでも1年ほど経つと、ハナ肇さん小坂一也さん達をはじめとする諸先輩の指導で何とか聞けるバンドになっていった。
そんなある日、ある監督から「バンドで出演して欲しい」と依頼が入った。
もうその時はバンドのメンバーも決まっていて、いわゆる「健太バンド」のオリジナルメンバーが揃っていた。
バンドの名前は「Shochiku The Diamons」。
これも一体どんな映画だったか良く覚えていないけど、何しろどこかのライブハウスが設定になっていた事は確か。

 「この機会に俺たちのオリジナルを映画の中で演奏しよう!」
全員一致でその計画は決定。
早速選曲が始まった。
ビートルズやベンチャーズの曲なんかは映画で使うと、当時はとてつもない著作権料を支払わなくちゃいけなかったので、
その案には監督も大喜び。
結局メンバー全員で喧嘩しながら(笑)作った「ストーム」に決定した。

 こいつが話題になった。
この映画がきっかけで、健太たちは急に忙しくなり始めた。映画の中では音楽は必ず必要。
次から次えと出演交渉が来た。
そうなると健太たちも出演料がある程度もらえないと出たくない。
実は忙しくなったのは訳があって、安くバンドを映画の中で使えるとプロデューサーたちが群がっただけの事。
安けりや誰でも良かったのかもしれない。だから一寸高い金額を要求したら、
「生意気だ!」「何を考えてるんだ!」
あっちからもこっちからもコンプレーン続出!
出る杭は打たれる。嘘偽りなくその時はそう感じた。

 「健太さんですね?」
そんなある日、目つきの鋭い崩れたスーツ姿の男が撮影所の健太達4人をを訪ねてきた。
「はい、、」
その鋭い目つきに4人は、一瞬警戒心を覚えた。
それにその型の崩れかかったスーツにはどこか怪さが潜んでいる。
「いや実はこの前たまたま健太さんたちの出演の映画を見たんです。『ストーム』、良い曲でしたねえ!」
男はそう言いながら一枚の名刺を差し出してきた。
ホリプロ、スカウトマネージャーXXOO。
「いや、実はね僕は最初あの曲、誰かのヒット曲だと思ってたんですが、調べたら健太さんたちのオリジナルだって言うじゃないですか!」
「はあ、、、、」
男はタバコに火をつけると大きく一服吸って吐き出すように言った。
「あの曲、レコ-ドにする気は有りませんか?」

 「えつ!」
4人は一瞬顔を見合わせた。

 写真は映画の中の一コマ。健太が持っているギターはやっと月賦で買ったテスコのエレキ・ギター。

 Part I、虹の街ホノルル!

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  1. 2005/08/08(月) 06:35:10|
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初めてのちゃんとした役はプレーボーイ!

  健太のなんちゃって、サクセス・ストーリーVol. 61

 松竹大船撮影所ではTVドラマも撮影していた。
でもあの頃はどちらかと言うと、TVドラマは映画に比べると低く見られていた。
映画は本編と呼ばれて配役も一流の配役で撮影に入る。
しかし一方TVドラマは、主演は一応松竹の看板俳優を使っていたものの脇役には二流、三流の俳優が出演していた。
おかげ様で健太たちにも、本編では考えられないほど良い役が回ってきた。

 初めてのTV映画では健太は、ちょっとしたプレーボーイの役。
番組の名前も忘れたし一体どんな話だったかも覚えていない。
多分メロドラマかなんかで健太は女の子をだまして遊び歩ってる男の役。
監督は健太に白羽の矢を立てたのさ!
でもなんで健太がプレーボーイの役を与えられたか未だに不明、、、。
監督は「健太良かった、ぴったりの役だ!」なんて言ってたけど、、、、。

 役としては初めての大役。
例えテレビドラマと言えども、緊張度は全く本編と変わらない。
当時はまだ白黒主体だったTV,それでも初めてのちゃんとした役だったのですごく嬉しかったし、緊張もしたっけ(笑)!
そのTVドラマをおっかさんだか友達だかが撮っておいていてくれたのが、下の写真。

 一緒に写っているのは「香山美子」さん。
彼女はこのすぐあと銭形平次の恋女房「お静」でスターの座を確保した。
場面は東京のどこかのビルの屋上、多分香山さんに呼び出されて、日ごろの行いを注意されてるんだと思います。
一体どんな台詞を喋っていたのか、どんなシチュエーションなのかそれ以上詳しいことは覚えていません。
それほど古い話なんだなー(笑)!

 それから12,3年たって、香山さんがご主人の三条正人さんと一緒に、ハワイの健太とアンジのレストランに食事に来た。
残念ながら香山さんとはすれ違い。
でもご主人の三条正人さんと意気投合して、翌日ミリラニにゴルに行ったのを覚えている。
三条さんはゴルフとてもお上手でした。

  写真はTVドラマのワンシーン。香山美子さんと健太。
 

  Part I、アラモアナ・ビルから見下ろしたホノルルの街!


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  1. 2005/08/07(日) 18:35:36|
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へんな海老天!

健太のなんちゃって、サクセス・ストーリー Vol. 60

 初めてハワイに来た頃、いろいろなことで困ったけど、特に深刻だったのが食べ物。
今のように、ダイエーもないし、マルカイもない。かろうじて白木屋が一軒あった。しかし健太達が食べたいような物は殆ど店頭には無かった。
ハワイには昔から日本食はあったことはあったけど、長いハワイの日本食文化と言う歴史の中で、それは既に本来の日本食とは違ったハワイ独特の食べ物に変わっていた。

 ある日日系二世のおばちゃんが「てんぷらを作ったから食べに来い」と言う誘いの電話が入った。
その時健太達は丁度ハワイの食べ物に飽き飽きしていたので喜び勇んでおばちゃんの家に遊びに行った。

 テーブルの上には沢山の食べ物が山盛り。
サラダをはじめ、BBQビーフ、チキン、サーモンの塩焼きなどなど。
そして最後の皿には海老天が山のように盛ってある。
「いただきまーす!」
アキもスギもクリも大喜びで海老天に群がった。
健太も負けずに皿に何匹もの海老天を、、、、
と思って見たその海老天。
<何か一寸違うなー、、、>
そう思いながらガブリ!
<おやっ?>
なんか衣が変だ。なんだか甘いなあ、、、。
そう思っていると、クリが小さな声で言った。
「この海老天なんか、甘くないか?」
「俺もそう思ってたんだ!」
皆が互いにうなずきあった。
その時、今日招待してくれたおばちゃんが声を掛けてきた。
「How is the Temputa?」
そう言われりゃ
「Wow, this is really good!」
って言うしかないだろ!
そしたらおばちゃんが、どうやって作ったか能書きをぶちはじめた。
「天ぷら作りは、素人にはとても難しいのよ!」
そりゃそうだ、だっておばちゃんが作ったこの天ぷらはなんか変な味だもん。
おばちゃんは続けた。
「何が難しいかって言うと、この衣なの!」
「、、、、、」
「でね、私は簡単に素人でも作れる、天ぷらの衣を発明したの!」
「えっ?」
驚く健太達4人。
「おばちゃんの作ったこの天ぷらの衣はね、パンケーキの素をそのまま使ったの!」
「えっ、パ、パンケーキの素?」
「そう、パンケーキの素。これを衣として使えば誰でも簡単に天ぷらが、こうして上手に作れるのよ!」

 <あーあ、どうりで甘い変な味がすると思った、この海老天!>
今でこそ本格的な日本料理がハワイでは幾らでも食べれし、天ぷらの素なんかも簡単に手に入る。でも当時はそんなものありゃしなかったんだ。

 おばちゃんのうちからアパートに帰ったら、何時も健太達のショーを見に来るUHの学生Kちゃんが健太達の帰りを待っていた。Kちゃんはお姉さんがBB堂って言う日本の本屋さんをやっている。そのBB堂を手伝いながら彼はUHに通っていたらしい。
「何処へ行ってたんだ、ビーチに行こうと思って待ってたんだぜ!」
「ごめんごめん。イヤー実は、、、」
Kちゃんに早速あの海老天の話を手短にした。
Kちゃんはけらけら笑いながら、
「ハワイの天ぷらなんて、そんなもんさ。そんなもの食うくらいなら日本のインスタント・ラーメンの方がよっぽど旨いぜ!」
それを聞いてクリが言った。
「えつ、そんなもんハワイにあるの?」
「あるある。俺んちにあるから皆で食いに来るか?」
いやー、こいつは嬉しい!あの天ぷらのお蔭で皆他もあまり手をつけずに帰ってきた。口なおしにそいつを食べたい。
何しろインスタント・ラーメンすらもう長い間食べてなかったんだから。

 4人のメンバーはKちゃんのアパートに行って、Kちゃんが作ってくれるラーメンをテレビを見ながら待っていた。
「ハワイアン・アイ」の再放送をやっている。
Kちゃんは5,6分もすると、鍋に入った湯気の立つインスタント・ラーメンらしき物を持って来てくれた。
しかしKちゃんの顔色が優れない。
「どうしたKちゃん?」みんなが心配そうにKちゃんを見つめた。
Kちゃんが気まずそうな顔で言った。
「ごめん。インスタント・ラーメン沢山あると思ったんだけど1個しかなかったんだ、、、でも卵一杯入れて増やしておいたからさ!」
「えー、卵で増やしたの!」
4人はがっかりしたけど、日本の食べ物に飢えている。
Kちゃんが持ってきた茶碗にその1個の卵入りインスタント・ラーメンを、5等分して食べる事にした。
茶碗に盛られたほんの一寸の卵入りインスタント・ラーメン。皆一気に食べた。
クリが言った。
「やっぱり、日本のラーメン、うめーなー!」

 健太もハワイで食べたものの中で、一番旨かったような気がした。

 写真はカウアイ島の面白い木の根っこ! 

 Part I、ワイキキのウインド・ショッパー昨今。

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  1. 2005/08/06(土) 12:33:10|
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ラブ・マイ・ボーン=骨まで愛して?

健太のなんちゃって、サクセス・ストーリーVol. 59

 健太達が始めてハワイのステージに立った時、それぞれが自己紹介をした。
何しろ初めてのハワイ初めてのアメリカ、何とか英語でやらなきゃならない。
しかし、ろくに英語も出来ないメンバー、せいぜい「My name is Kenta」しかないよね!


 その中でもクリは、日本で既にかっこいい洋風のニックネームを友達に貰ったから、きっとかっこ良い自己紹介が出来ると自慢げに健太達に話していた。
クリは、
「ほら、フランス映画かなんかでさ、男が女を振り切って旅立つ時、女は男の後を追っかけて『XXX―、行かないでー』なんて叫ぶシーンがあるじゃないか。あれよ、あの『XXX』を俺のニックネームにするんだ!」
日本を出る時から、そう言って張り切っていた。
健太は
<へー、XXX、、ってそんなにかっこ良いのかー、、、>と感心していた。

 さて自己紹介だ。
健太はグループのリーダー一番最初にやらされた。
アキ、スギと何とか無事に終わってクリの番になった。
クリは前に一歩出るとマイクを取って大声で言った。
「マイ・ネーム・イズ、、、ドウードウ!」
一瞬会場は水を打ったようにシーンとした、が次の瞬間、わーっと爆笑の渦。

 健太達は一体何がそんなに受けたのか、まるで理解できなかった。
ステージを降りた健太達にジミー(店のオーナー)が笑いながら駆け寄って。
「ヘイ、ユーガイズ、ベリーグッド!クリ、ユーアー、ベリーグッド、コメディアン!」

 皆はもう分るよね「ドウードウ」は「うんこ」の事さ。でもあの頃はみんなそんな事あまり知らなかったんだ。
きっとクリは日本でその友達にだまされたんだね(笑)!
でもそれからと言うもの、クリはバンドのお笑い担当として抜群の人気を得た。

 当時ローカルも日本の歌を少しは知っていて、健太達がロックバンドだろうが何だろうが演歌のリクエストをどんどんして来た。そこは人気取りもあって、即席でやれる物はやった。
中でも「ここに幸あり」「君といつまでも」「朝が来たのね」「骨まで愛して」は必ずリクエストが来た。

 司会担当はアキ。
ある晩「骨まであいして」のリクエストが来た。
アキは早速そいつを英訳して紹介した。
「Our next number is Honemade Aishite,『ラブ・マイ・ボーン』!」
そう言った途端、客席中が笑いとブーイングの渦と化した。
「ボーン」には「おちんちん」の意味もあったんだよ(笑)!
この時もジミーは大喜びだったけ。ローカルはジョークが大好き!

 写真は最初にハワイに来た時の物。

 Part I、有名人のサインもらったとんま!

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  1. 2005/08/04(木) 13:07:24|
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ワイキキでばったり!

  健太のなんちゃって、サクセス・ストーリー Vol.58

 撮影所には老若男女、沢山の俳優がひしめいていた。
スターもいれば、健太たちのような卵もいた。
若い健太は何とかその中からガールフレンドを探そうとキョロキョロ!
いるはいるは、さすが撮影所の中、可愛い娘が一杯いる!
なーに当たって砕けろ、片っ端から気に入った娘に声を掛ける。
こいつがなかなか上手くいかない。

 実は撮影所って言う場所がそうさせている。
つまり可愛い娘は、
<誰か有名なスターに見初められたい!>とか、
<有名な監督に、声を掛けて欲しい、、>とか、
かっこいい男の子(?)を捜すよりそっちが先。
健太が幾ら頑張っても、彼女たちは全くなびかない。なびくわけが無い。
逆に健太が声を掛けられる事はたまにあった。それは勿論スターではないし、撮影所内で1,2を争う美人でも可愛い娘でもない。おばさんか、可愛くも何ともないふつーの娘(笑)!
若い健太には女性を見分ける能力なんか或るわけが無かった。何でもいいから、美人か可愛い娘!軽薄短小三こすり半の代表的な健太。

 そんな中、一人とても可愛くて気立ての良い娘がいた。Yちゃん。
当時彼女は15歳。健太にもなついてきて良く一緒に遊んだ。
でも相手は何しろ15歳。当時の15歳はほんの子供さ。
健太は20歳だから、一応大人の振りをしなくちゃいけない。下手に手は出せない。
彼女は性格もそんなだから誰にでもなついて付いて行くので、撮影所内の色んな男性と遊びに行ってたらしい。ある日彼女が健太にこんな事を告げてきた。
「Aさん、私にキスをしようとしたの!」
それを聞いた健太は怒り狂った!
<なんてこった。15歳の娘に何てことを!>
そう思うといても立ってもいられず、すぐにAに会いに行った。
「あー、Yちゃん?あの娘はやり手だぜ健太。気をつけるのはお前の方さ。あの娘に騙されるなよ!」
Aの話によると彼女は相当やり手で、健太も知ってる男の名前が次から次へ彼女が関係した男として出てきた。
でも今考えるとそれも信憑性が無かったね、、、。
現代では15歳は大人ではないにしろ、いろんな意味で立派な女性。
そんな事で驚いていられないけど、いずれにせよ軽薄短小三こすり半の当時の健太には、その時即受け入れるのは非常に困難だった。

青春の甘酸っぱくも、苦い思い出だね(笑)!

 当時松竹には、撮影所が大船と京都2ヶ所にあった。
当然京都は時代劇を撮っていたし、大船は現代劇を撮っていた。
それがある日突然京都の撮影所を売却する事になって、時代劇も大船で撮影する事になった。
時代劇はかつらをつけるし着物を着るので大変!
でも貴重な経験でした(笑)!

 2年ほど前ワイキキを歩ってたら、向こうから来る中年の女性に見覚えがあるような気がして暫く観察していた。
<えーと、誰だったっけ、、、?>
ふと、今までショーウィンドウを見ていた若い子がその女性に駆け寄った。
その若い娘の方を見て健太は「はっ!」と思った。
<あれは!>
「Yちゃん!」
Yちゃんも娘も怪訝な顔をして健太を見た。
「健太だ、健太だよ!」
Yちゃんが娘さんとワイキキを歩いてたんだ!
Yちゃん自身は少し年を取ってなかなか思い出せなかったけど、娘がYちゃんの若い頃そっくりだったのさ(笑)!

  写真は撮影所の入り口。男の真ん中白いシャツが健太。かつら姿の写真を探したけど見つかりませんでした(笑)!
  

 Part I、ワイキキのホテルの値段!

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  1. 2005/08/03(水) 12:48:03|
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ヌアヌ・パリ旧道に、お化けが出るんだって!

  健太の何ちゃって、サクセスストーリーVol.57

 クリがお化けを見た話をしたよね?
その頃、その話をローカルの友達連中に話したら、出るは出るは色んなお化けの話が出てきた。
中でも口裏を合わせたように皆から出てくる話が「Pork」。
ヌアヌ・パリの旧道を夜中に通る時には「必ず『豚肉』を持ってゆきなさい!」ってやつ。
そしてそいつを持って、その旧道を行けばお化けに襲われないって訳!

さて早速そのヌアヌ・パリの旧道に行って見ようって事になった。丁度ローカルの女の娘が健太たちを誘って来たからさ。
だけどクリだけはもう「二度とお化けはいやだっ!」て言って頑なに拒んだ。
仕方が無い。クリは置いてゆく事にした。なにしろ健太たちはお化けを見たいんだ!だから勿論「豚肉」なんか最初から持ってゆく気はない。

 出かけたのは多分ライブが終わってから、朝方3時過ぎに行ったんだと思う。その辺の記憶は何しろ大昔の事、定かではない。
皆の中には知ってる人もいると思うけど、ヌアヌ・パリの旧道は「箱根の山」じゃないけど「昼なお暗き」って奴。更に夜中に行ったら真っ暗っ気だ!
ヘッドライトを点けているので、その辺りの闇は更に漆黒が強調されている。
一緒に行ったのは、アキ、スギ、健太そしてローカルの女の娘3人。6人乗りの車にぎっしり乗り込んだ。
とにかくお化けを見たいんだ、素早く通っちゃ意味がない。ゆっくりゆっくり車は走った。ヌアヌ・パリの旧道が全長どのくらいあるのか定かではないけど、「胆だめし感」抜群!
「お化けを見たいんだから車の窓を開けようよ!」って健太は言ったけど誰も開けようとしない。健太は手を伸ばして窓を開けようとしたけど女の娘に「パッシ!」とやられた。

 一体時間にしてどれほど経っただろう。10メートルほど先の右側に家が見えて来た。
二本の古びた材木が入り口に立っている。それは門と言うにはあまりにもお粗末な物。
その門の脇に何か光って見える。
しかも微かに動いているようだ。
「で、でたー!」
女の子が健太に抱きついてきた。
<ふふふ、しめしめ役得だあ~>
あま~い彼女の香りが健太を奮い立たせた。
「車を止めるんだ!」
アキが声を抑えながら言った。
スギが言った。「降りて見ようぜ!」
女の娘たちはしっかり健太たち男にしがみついている。
無理やり彼女たちを払いのけて健太たち男は車の外に出た。
そしてゆっくりとその家の門に近づいた。
微かな光は有るにはあるけど、動いてはいない。
3人は恐る恐る更に近づいた。
アキが最初そいつに近づいてに言った。
「なーんだ!」
健太もスギも次の瞬間その正体を見た。
何のことはない、古いTVが投げ捨てられてあっただけの事。
TVは半分草に隠れてその画面に健太たちの車のライトが当たって少し反射して揺れていただけの事。

 残念ながら結局「お化け君」には会えなかった(笑)!
でも後で知ったことだけど、この企画(?)一人のローカルの娘がアキに惚れてて、何とか誘い出したいと思って声を掛けてきたって事だった。

「あのネ、車が坂道を登る処がるの。知ってる?」
ある一人のローカルの女の娘が言った。

 写真は当時のカウアイ島、カウアイ・リゾートの庭にて!

 Part I、意外と迷信深いハワイの人たち!

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  1. 2005/08/02(火) 12:33:21|
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私を抱いてキスして頂戴!

 健太のなんちゃって、サクセス・ストーリーVol.56

 バンドが終わるのが朝3時(後に4時になった)。それから朝食に出かけるの事が多かった初めの頃のハワイ生活。
その頃健太は免許を持っていなかったので、一日も早く免許を取ろうと、
誰と出かけても、「運転させてくれる?」って聞いては練習させてもらった。
ハワイでは免許保有者が隣にいれば路上練習ドライブは何時でもOK!
ローカルの常連のお客さんの中には健太たちに早く免許を取らせようと、駐車場に車おいていってくれる人もいた。
そんな訳で最初の2ヶ月くらいはずーと無免許だったと思う。
無免許運転は常習犯!

 ある朝ライブの終わったあとK子をドライブに誘った。
初めてのデートだった、、、と思う。そこのところは確かじゃないけど、、、。
そのころK子も免許を持っていなかった。
その朝は何故か朝食には行かずにアラモアナ公園に駐車していた。健太に何か下心があったに違いない(笑)!
若い2人の話には終わりはなかった。一体何を話していたかて覚えてはないけどかなり長時間そこにいたっけ。

 そろそろK子をアパートに送ろうとしてふとバックミラーを見るとゆっくりとパトカーが近づいてくるじゃないか!
「け、K子、どうしよう!俺免許持ってないんだ」
健太はあせった。
そうしているうちにパトカーは、ぴったりと健太たちの車に付けて止めた。

「抱きつくの!」
「えっ?」
「いいから健太、私を抱いてキスして頂戴!」
<な、なんてこった!>!
しかし躊躇している暇はない。
健太は素早くK子を抱き寄せてキスをした。
健太は夢中だった。カモフラージュをしようとして夢中だったのか、甘いキスに夢中だったのか良く覚えてない。
ポリスは懐中電灯で健太たちの車の中を照らしたらしい。らしいと言うのは健太は夢中でなので何も知らなかった。
って言うか無視した。
そこはさすがK子は女。しっかりと薄目を開けて一部始終を見ていたそうだ。
中を照らしたポリスは夢中で抱き合う2人に声を掛けるほど野暮じゃなかったてことさ(笑)!

生まれてこの方、後にも先にも、女性からキスをせがまれたのはこの時だけでした(汗)!

 写真は、アウトりガー・ワイキキにて。

 PartI、PCの調子わるし!

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  1. 2005/08/01(月) 09:37:13|
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